いつも途上なわたしたちへ ーウェブメディアSUOLA創刊に寄せてー

はじまりのこと

こんにちは。2022年、いかがお過ごしですか。年の初めは、なんだか新しいことを始めたい気持ちになりませんか。御多分に洩れず、このコラムでは私もそんな話をさせてください。これからの挑戦のことです。

これを目にしている方でもご存知の方はごくわずかと思いますが、コロナによるステイホームを余儀なくされた2020年春、「はぐくむ人に」を合言葉に、SUOLA(スオラ)は始動しました。

東京とヘルシンキに住むコアメンバーの5人で話し合いながら、紙のマガジンを創刊して、購入者コミュニティを立ち上げて、それから宮崎の海を釜炊きしてつくる体にやさしい「恋が浦の塩」を販売したり、フィンランドから届いたヴィンテージ食器のお裾分け会をしたり……およそまとまりなく、実験的にいろいろ取り組んできました。余談ですが、SUOLAはフィンランド語で「塩」の意味です。

「あれこれやっているね、でもSUOLAって何?」

そんな率直でありがたい質問もいただきつつ、「まずはやってみよう!やっていれば見えてくるものもあるはずだ!」という少年少女のような旺盛なチャレンジ精神で、しかしもういい大人なので、後先を考えないといわれる無謀さでもって活動してきました。そんな手探りの日々に付き合ってくださった皆さんには心から感謝しています。

SUOLAマガジン創刊号

生活者として

SUOLAの活動の根底にある思いは、制作するプロセスを楽しみ、学びながら、“多様なまま健やかに生きる”ということを、ともに考えたいということでした。それは、みんなで語らおう、ということでもありました。

わたしたちが生活者として日々感じること、考えることを言葉にして発信することには、年を重ねるごとに躊躇いと困難とが増すように感じられます。自らの仕事でプロフェッショナルとして価値を提供するときとは、どうにもまた違う困難です。そこには何も纏うことのない無防備な「わたし」がいるからなのかもしれません。

わたしたちはそれぞれに、なりわいとしての専門分野を持っています。けれども、このSUOLAは、関わる人たちみんなが、“いち生活者”としてのささやかな関心を、ためらいを乗り越えて探求できる場にしよう、ということは最初から思っていました。

人は大人になれば、自らの暮らす社会での役割、属性、職業、立場、いろいろなものを身に纏って生きていくことになります。たくさんのものをこの身に纏うことで、わたしたちはこの世界を何とか生き延びることができます。誰かに何かを教えたり、受け継ぐ側に回ることも増えてきました。

そうして成熟してものごとへの理解が深まっていく、こともある。けれども身動きが取りにくくなったり、自らの視界から遠いものに対しては、残念ながらより理解から遠ざかってしまうことも多いように感じもします。

その果てには、身の回りで困っている人の姿さえ視界からこぼれおちるままにしているのかもしれない。コロナを機に世界中に吹く風は、そんなわたしたちの硬直したあり方への警鐘にもどこか聞こえました。

幻の第2号

実は、昨年の2021年に、2号目のSUOLAマガジンを発行する予定でした。「多様なパースペクティブを知る」ことを目標に掲げて、生まれ育った土地を離れて生きる人びと、つまり移民や越境をテーマに取材を進める予定で告知もしていました。

これからのわたしたちは血縁や地縁への回帰だけではない、きっと異なるものを新たな世界の頼みにするだろう。ならば土地を離れた彼ら彼女らに日々の暮らしぶりを聞いてみよう、異国に住む友人知人も多いし、という気軽な気持ちからでしたが、そこにあるであろうものを何かしら掬いあげられたらとは思っていました。けれども、とても難しかった。

メンバーの中に社会学者がいるような幸運はなく、当然ながら専門知もなく、彼ら彼女らの言葉を適切に引き出すすべや、語れる言葉を持ちませんでした。形にしようとするにつれ、素人なりにも手段やお作法について無知ではいけない。正確にいえば、容易に形にしてはいけないという思いのほうが増していきました。

でも、ここで立ち止まるのも違うのかもしれない、という意識もどこかに残りました。ものごとを知りたいと思ったその興味の芽のようなものは、言葉や行動にすることをあきらめた途端に手もとから驚くほどにぐんぐんと遠ざかっていきます。忙しいからです。次々とやるべきことの舞い込む日々に埋もれ、そこにたしかにあったことさえもわたしたちはやがて忘れてしまう。

けれども心に生まれ、かわいそうにいつも後回しにされてしまうその芽こそが、わたしたちが多様なまま健やかにあるための、よすがなのではないかとも直観的に感じるのです。

わたしたちの場所

それならばと、2022年、SUOLAは紙からウェブにその場をお引っ越ししてみることにしました。

今はまだ次に紙という形にしたいものがはっきりとは見えない。ならば、書き手の思考の過程を、たとえ未完成でもいいからウェブという波の上に乗せてみよう。それを刺激材に読み手には感じたことをコメントに書き連ねてもらおう。そんなふうにして、みんなで模索してみるのはどうだろう。今はまだ完成系じゃなくていいよね、とわいわい話し合いました。

そう書いて、ふと、「わたしたちはいつも途上で、すべては未完成の営みだ」と、最近、「遠藤周作没後25年 遺作『深い河』をたどる」というNHK特番を観て、自分が涙ながらに書きつけたことを思い出しました。うん、たしかにiPhoneのメモにそう書いてある。

わたしたちの生がそうであるように、わたしたちの生み出すものは未完で当たり前。まれに完成された美が立ち現れますが、およそすべては途上です。なのに、まるで曲がったきゅうりが出荷の箱にさえ入れられず取り残されるかのように、あやふやなものが外に出ないようまじめに取り除いているうちに、人は自分のうちから自然と湧いてくるものにどんどん無頓着に、鈍感になっていくのかもしれません。

今回SUOLAがやろうとしているのは、この未完成に終わるさだめの日々の営みから、時折心にぽんと生まれてくるものを、かっこ悪くてもぎこちなくても、みんなでとりあえずウェブの上に乗っけられるものは乗っけてみようよ。他の人に届けることで見えてくるものもあるはずだ、きっと。という思いから生まれた、みんなの練習帳であり、ごくスタンダードなウェブメディアです。

メールマガジンでもよかったのですが、見知らぬ人に意図せず出会う偶然を信じてみることにします。とりあえず仲間うちでコラムを書いてみますが、どんなふうに発展させていきたいとか、この先は特には考えていないです。仕事じゃないんだし、無謀だっていいじゃないか。

まだ芽吹くかさえもわからないままに、それぞれの人の心に留まってあるものを、たとえいびつでもいいから、少しずつ発露していける場にSUOLAがなれたらいいなと思います。もしできることなら、お互いの芽をはぐくんでいくために、自然と助け合っていけるような場になったら、なおいいなと思っています。

もしよかったら、ここまで読んでくれたあなたも参加してみませんか。そうなったらうれしいです。

4 COMMENTS

田中翔貴

ものづくりにおいて完璧を求めがちなのですが、自分も人間として未完であるのに何故だろうか?と考えさせられました。

まずはつくってみる!というのは変わりません。それを他の人にどのような形でも良いので届けることで、ものも自分も育んでいこうと思いました☺️

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Orie

わかります、ものづくりで完璧を求めたくなる気持ち!でも他人のものだと、私はたとえば絵の本番前のクロッキーをみてプロセスを知れるのもけっこう好きなんですよね〜。不思議なものですね^^
「今、こんなこと考えてるよ」のラフな発信が誰かの「あ、それわかるかも」につながって、より良いものを生み出すためのヒントが得られる。そんな支え合いが生まれたらと思って、ウェブSUOLAをはじめてみました。翔貴さんにも活用してもらえたらうれしいです!

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よししげ

お手紙のようなコラムを見て、しっかり読まなきゃと思って読みました。またここをひょっこり覗きにきてしまいそうだなと思っています。

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Orie

コメントありがとうございます!
リラックスキャンプのときから、今の農業でのチャレンジもずっと注目してリスペクトしているよししげさんが、まさかこうして反応くださるなんて、とてもうれしいです^^
ぜひたまに覗きに来てください〜!

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