綿花摘みではじめて知った、コットンの持続可能性への挑戦

綿花

ふわふわの綿花を摘みに長野へ

2021年10月某日、秋晴れ。私は友人から誘われて綿花収穫のお手伝いをするため、長野県上高井郡高山村にいた。ユネスコの生物圏保存地域にも指定されている、自然あふれる里山の村だ。

首都圏を発った私を含む3人が車で綿畑に到着したときにはもう、収穫された綿花の枝が積まれていて、数人がその横に集って腰をかけ、おにぎりとお茶を手に談笑していたところだった。ありし日の祖父母の家にタイムスリップしたかのような、のどかな光景がまぶしい。

その日はとりわけ日差しの強い一日で、太陽は間もなく真上に登るところだった。「帽子は必要だよ、おりちゃん」と準備万端にキャップをかぶって笑う仲間の横で、私はもう頭のてっぺんがじりじり焼け始めているのを感じていた。昔からそうだ、身支度に頭が回らない。高校生の頃、体育の授業のある日にスニーカーを忘れてローファーでランニングしたこともあったな…と一瞬遠い目になるが、気を取り直して「しあわせコットンのわた畑」と看板が掲げられた綿畑に足を踏み入れる。

▲可愛らしい看板が集合の目印

いくつかの種類のコットン(綿)をみんなで実験的に育てているのだそうで、一般的な白いふわふわの綿のほかに、トイプードルの毛のような茶色と、うっすら空豆のような淡いグリーン色をした綿がそれぞれの実からこぼれだしていた。そっと触れてみると感触も違う。とくにグリーンの綿毛はまるで蚕(かいこ)の紡いだ絹糸のようにしっとりしていて、私はたちまち気に入った。

「なかでも高級なものなんですよ」、とこの収穫イベントを主催する棉花栽培事業研究会(通称しあわせコットン)のメンバーの方が説明をしながら、薄い緑のコットンフラワー(綿花)を私の手にぽんと乗せてくれた。うれしい。

▲グリーンコットン。実物はもう少し緑がかっている

綿花は熱帯で生まれ世界へ

コットンは春に種を植えると、夏に花が咲き、やがてツンと先の尖った丸い実がなる。秋になるとその実が乾燥して弾け、成熟した綿が飛び出してくるのだそうだ。

綿とはアオイ科ワタ属の植物の総称。アジアや中南米などの熱帯・亜熱帯の国が発祥で、やがて世界各地で50種ほどに進化して、さまざまな特徴を持つようになったという。「綿はほんのり甘いので虫に食べられやすく、農薬なしの栽培は大変なんです」、というようなことも教えてもらう。午後の勉強会に出るまで、私はこのことばがどんな意味を持つのかをまったく想像できていなかった。

そのときの私は、綿はなじみ深いから昔から日本にあるものと思っていたけれど、たしかにこの国で綿畑を見たことがないな、とのん気に思っていた。しかしのちに調べると、明治期までは綿畑が各地で見られ、在来種の和綿は衣服や布団などに多く用いられていたようだ。けれど、明治初期に輸入綿が関税撤廃されてから和綿は激減。今では自給率はほぼゼロになってしまった。見渡す限り一面に広がる綿畑のある風景はどんなふうだったんだろう。

▲手前がグリーン、真ん中にはブラウンコットンも

しあわせコットンの持つ畑自体は大きくない。大量に綿の生産出荷をするというよりは、地域の住民や関心を持って集う人たちで年間の栽培に携わり、コットンハンカチや綿づくりをテーマにした絵本などを少しずつ制作・販売しながら、綿の魅力を広く伝えていくことを目的に活動しているのだそうだ。「ふわふわの綿花の愛らしさが、糸をつむぐようにみんなをつないで、しあわせにしてくれるんですよ」と、研究会代表で、看護師の山本友子さんが教えてくれた。

「綿というしあわせな植物に手伝ってもらいながら、現代人の心を救いたいんです。私たちのまく、しあわせコットンの種の一粒一粒が、やがて何千何億にも広がって、気が付けば綿の恵みで生きていく力になってほしいと願っています。」

綿花収穫に参加するみなさん一人ひとりの笑顔やその前向きさから、山本さんの想いがこの土地で芽吹いていることがひしひしと伝わってきた。私は仲間に入れてもらったことに心から感謝した。

▲集会所には収穫されたコットンが保管される

ットンをめぐる私たちの問題

お昼休憩後、各地の畑で収穫作業をしていた人びとが集会所へ次々と集まってきて、山本さんの明るい呼びかけでオーガニックコットンの勉強会が始まった。Zoomの画面越しの先生は、“オーガニックコットンの父”と呼ばれ、世界中を飛び回りその栽培方法を伝えているという近藤健一さんだ。「綿の様子はどうですか?」「なぜ収穫に参加されたんですか?」など一人ひとりにやさしく話しかけてくださる。

紀元前5000年にはメキシコで栽培されていた証拠が見つかっているという、人類の大切なパートナーともいえるコットンについて、このとき私が学んだことなどを一部、お伝えしたい。

世界の綿の主要産地は、インド、中国、アメリカ。ほかにパキスタン、ブラジルなど。今、日本は主にアメリカからの輸入をしている。オーガニック栽培に力を入れているのは、インド、トルコなど。トルコは突風が吹く土地なので、害虫が出にくいメリットがある。

綿の生産には大量の水が必要で、洪水や干ばつや嵐など、世界各地の環境の変化に影響を受けやすい。ここ最近カリフォルニアの土地で綿畑が果物やナッツ畑に代わったのは、記録的な干ばつに見舞われてヨセミテ国立公園の水が減ったため。

そして、コットンは世界的に需要が高く、大量生産を進めるあまりに、現代では栽培に大きな問題を抱えている。

その一つは、生産量のおよそ8割が発展途上国の人びとによって生産されているために起きる、過重労働や児童労働の問題。2020年12月、世界有数の綿の産地である新疆ウイグル自治区で、中国によりウイグル族の強制労働が行われている疑いがあるとアメリカのシンクタンクが発表。工場取引先リストに、私たちも名前をよく知るアパレルメーカーが並んでいたニュースは記憶に新しい。

もう一つは、農薬や殺虫剤の問題。綿花は世界の農耕地の約2.5%を占める栽培面積にもかかわらず、世界の農薬の約6.8%、殺虫剤の約15.7%の消費金額を占めるという調査結果(※)がある。食料と比べて使用基準が甘いのがその一因だという。収穫時には綿の実をしっかり開かせてコンバインで一斉収穫をするために、枯れ葉剤が散布されている。また、その洗浄のために莫大な量の水も使用される。結果、農耕地の土壌劣化や地下水の汚染は酷く、農業従事者に深刻な健康被害が出ているーー。

私はメモを書きつける手が止まらなかった。

(※ ICAC(国際綿花諮問委員会)2010年発表資料より)

▲しあわせコットンは2013年からこの地で棉栽培を行っている

未来のコットンに託す夢

今、私の手に触れているこのふわふわで愛らしいコットンが、そんな問題を抱えているだなんて。大地からの恵みを分けてもらい、衣服として私たちを包んできたコットン。そんな本来のしあわせな関係性であれるよう、私たちは行き過ぎた行為に歯止めをかけなくてはいけない。

予期せずこの日に私がお話を伺うことのできた近藤さんは、オーガニックコットンの普及を牽引(けんいん)するトップランナーだった。紡績会社に技術者として長く勤め、糸の開発に従事しながら、アメリカの昆虫学者のサリー・フォックスさんが確立したオーガニック製法に運命的に出合い、退職した今もなお世界各国を飛び回り、製法導入に尽力されている。

オーガニックコットンは、コットンの持続可能性を切り拓く存在だ。ミミズで腐葉土を作るなどして農薬や化学肥料は一切使わず、3年間無農薬であることが認められたコットンだけが取得できるオーガニック認証や、労働者を守るフェアトレード認証の制度が世界で広く運用されている。

けれど、切り替えは容易ではないのだという。栽培に手間がかかるため導入負荷は相当高く、オーガニック以外のものと比較すれば入手価格も上がる。オーガニックコットンの生産量は、人権や環境への意識の高まりとともに年々伸びてはいるものの、まだ全世界のコットン生産量の約1パーセント。理解と支援が必要だ。

ほかにもコットンのリサイクルや、地産地消の動きが活発化していることも新たな希望に思える。昨今はコロナ禍により中止を余儀なくされているものの、国産綿で綿製品をつくりたいと考える人たちが集まる「全国コットンサミット」が2011年に大阪でスタート。2016年にはここ高山村で行われ、来場者はスタッフを含めて600人を超えたという。

▲実がうまく開いて飛び出したコットンフラワー

収穫作業をしながら考えた

勉強会の後にはまたいくつかのグループに分かれ、私と友人は集会所の玄関先に腰をかけて、綿花からコットンだけをひたすら集める作業に入った。ガクがふんわりした綿に食いこんでいて、なかなか細かなカケラが取り除けない。けれど混ざりものがあるとコットンの価値が下がると聞き、作業に集中した。庭で採れたので差し入れに、と地元参加者の方から手渡された姫りんごをしゃりりと噛んだら、強烈な酸っぱさが口いっぱいに広がった。

たしかに大量栽培ではこんな手間のかかる作業はやっていられないに違いない。けれど、よりによって人体に有害だとわかっている枯れ葉剤を使うだなんて。農薬でも完全には取り除けなかったガクを、どこかの国の知らない少女たちは学校にも行けずに今日も懸命に取り除いているかもしれない。その綿から糸がつむがれ、織られ、海を渡り、衣服となったものを私は店で買って、身にまとう。

私たち大量消費する側の人びとは、店頭にずらりと並ぶ商品一つ一つの生産工程にあまりに無自覚なまま、長い年月を過ごしすぎたのかもしれない。それは私たちがあまりに速いスピードに追いつくことを求められ、日々に忙しいことを意味しているとも思う。でも、できるだけ立ち止まってもう一度問い直したいとも思う。この商品はどうやってここにやってきたんだろう、と。誰かのしあわせや、環境や未来を犠牲にすることは誰も望んでいないはずだから。

▲コットンフラワーの仕分け後

東京での思いがけない再会

私にできることは少ないけれどもせめて、オーガニック認証のコットンを使用しているアパレルメーカーを応援することで、世界中のオーガニックコットン栽培に踏みきる人びとへ少しでもエールを送れたなら。そんなふうに願っていると、ふいに巡り合うのがこの世の不思議だろう。

今年の初め、数年ぶりに丸の内のKITTEを歩いて時間をつぶしていると、偶然にオーガニックコットン100%の肌着を販売している「Sugano ORGANIC」のポップアップストアの前を通りがかった。SUOLAメンバーの富井りささんと一緒だったので、新年だし買い替えにちょうど良いかもね、とふたりで引き寄せられるようにお店に入った。

奈良の山間にあるちいさな工房で50年以上培ってきた縫製技術でつくられたという、肌ざわりの柔らかそうな商品がハンガーにずらり並んでいる。たちまちときめくふたり。それぞれ気になる肌着を物色する中で、私はある商品に「あ」と手を止めた。店員さんが、「きれいな色ですよね。それはコットンそのものの色で、染めていないんですよ」と話しかけてくれたので、私はつい熱のこもった声で返事をしてしまう。「この色のコットンフラワーを手にしたことがあるんです、つやつやですよね!」

そうして我が家にやってきた、一着のうっすら空豆のような淡いグリーン色の肌着。袖を通すたびにいつも、少しうれしい。

春の高山村では、今年もまた種まきが行われるはずだ。しあわせコットンと皆さんの笑顔に会いに、ぜひ村を再訪したいと思っている。

▲肌ざわりの良いオーガニックコットンの肌着

参考文献:『地域資源を活かす 生活工芸双書 綿』2019年・農文協発行

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